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将軍のお座敷遊戯ブログ

人狼の戦術論、ボードゲームのレビューやプレイ記、その他趣味のことや下らないことまで思いつくままに書いていくブログです。 Twitter アカウント: @ino_1ban

【人狼論】村人か人狼かを見極めるには

◆結局、どういう人が村人でどういう人が人狼なの?

人狼プレイヤーにとって、どちらの陣営にとっても永遠の課題である、村人らしさや人狼らしさの話。
できるだけ誰でもフラットに考察することができる、メタ推理などは除外した視点で考えてみる。

 

◆真偽判断の基準となる思考

人狼か村人かを見極めるためには、それぞれの目的や知っている情報に注目すると分かりやすい。ざっとまとめると

- 人間:敵を知らないので、推理で人狼を探す
- 人狼:仲間を知っているので、誘導で人間を殺す

といった具合になるだろうか。
つまり、本気で人狼を探すのが村人となり、そのふりをしているのが人狼でありそこにヒントがある。

 

◆結果よりも、姿勢と思考で見極める

いわゆる「身内切り」を例として考える。

「わたしは人狼だった○○さんを投票で殺している。だから村人だ」
「わたしはこう思ったから議論で人狼だった○○さんを追いつめた。だから村人だ」

どちらも身内切りによる村アピだが、どちらが人間らしいだろうか?

場合にもよるだろうが、個人的には後者だと思う。

理由は、前者は人狼であれば腹をくくればできる行動の結果、事実を言っているに過ぎない。せめてそれが本当に人狼にとってクリティカルなものだったか、をきっちり見極めるか本人が説明できなければ村アピとしてはまだ甘いと思う。
人狼3のレギュでひとり人狼が死んだところで十分勝ち筋は残る)

一方、後者には人狼を探そうとしている「姿勢と思考」が見えているため、それはもし人狼であればある程度労力が必要になるものとなる。そこに村人らしさを見ることができるだろう。投票だけなら腹をくくればできるが、ちゃんと理由まで考察して人狼を探す「フリ」をし続けるのはなかなかしんどい。そこに生まれる隙を見逃さないようにしたい。

 

◆「人狼だったらこうする/しない」という発言は危険

「わたしが人狼だったらこうすることにメリットはない、だから真だ」

は説得の仕方としてナンセンス。なぜならば、そう言ってる時点で村アピの口実ができているのでそれは本人にとってメリットに他ならないからである。言うのであれば

「わたしのこの行動は人狼でもやり得るが、人狼陣営が不利になる(見つかる)リスクと比較して割に合わない。なぜならば…」

という説得の仕方がベターだと思う。

また、村陣営の真偽判断の材料とするときにも注意が必要であり、

「偽だったらこんなわざと疑われるということは言わないと思うので真だと思う」
「偽だったら結果を騙る/間違えるということはしないと思うので真だと思う」
人狼だったらここでCO撤回はしないので人間だと思う」

心理的には理解できるが、このような判断基準による村置きはなるだけやめた方がいい。

というか、マジでやめてほしい。

理由は単純で、上記は人狼ならばいくらでもやろうと思えばできる行動で、これを認めてしまうと人狼に安易な村アピを許してしまうことになるからだ。特にCO撤回に関しては、対抗に出てきた真能力者のあぶり出しというおまけがついてくるのでたちが悪い。信用を得るためにわざとミスをして、奇策の提案ばかりされる村なんて僕は嫌だ。上記の行動の見方は、基本的には人外要素として捉え、最悪フラットに考えるくらいに留めておきたい。

◆パッションって何?

特に対面人狼にというのは、全てがロジックで説明できるものでないから面白い。村人要素としてたびたびやり玉に上がるパッションとは何か?というのを自分なりに解釈すると

- 言葉で説明できない村人らしさ

となった。活字で見ると身も蓋もない。

それは自然と滲み出てくる雰囲気みたいなもので、さらに恐らくその場の空気や受け手側の心理にもよるというとても不確かなものだから、これを鍛えようというのは無駄とだけ言っておく。かわい子ちゃんだから投票するのやめよ、ぐらいの適当な判断基準とさえ捉えてしまっていい。

ひとつ言えるのであれば、人狼を軽い気持ちでリラックスして楽しもう、という方がいい方向に働くと思う。大きな声が伴う熱弁は生存意欲むき出しで、議論誘導をしたいがための人狼と見られる可能性のある諸刃の剣である。

 

人狼クソゲーである(リラックスして臨むために)

GMが参加できない
・毎日誰かが脱落し、終わるまで蚊帳の外
・ある程度人が集まらないとできない(人数による縛りが大きい)

ワンナイト人狼がヒットし、ドイツゲームレジスタンスが評価を得ている理由からも分かる通り、上記がゲームとしてのマイナスポイントであることは事実だと思う。

しかしそれも無理はない。大元となったMafiaが遊ばれ始めたのが1986年、それの更に元になった1930年ごろに遊ばれていたというベーゴマ並の古い遊びなので、現代のゲームと比べてシステムに理不尽な点があるのは当然のことなのだ。しりとりみたいなものだ。

クソゲーかどうかは単純に優劣のみで判断されるものではない。どちらかといえばジャンルを表す言葉に近い。

クソゲーの代名詞、デスクリムゾンはネット上でのネタとして知名度は高いし、AC北斗の拳はバグだらけ、小パンチが一発入れば決着がつくというバランス崩壊っぷりだが、リリースされて10年以上も経つが今でも大会が開かれている。中野あたりで。

本当にゲームを楽しみたいのであれば、あらゆる理不尽さを笑い飛ばすくらいの気概があった方が、みんな幸せになれると思う。だから、人狼と見られ吊られることに気を負って神経をすり減らすことは何もない。どうせ人狼クソゲーなのだから。

 

以上

 

人狼ゲームで学ぶコミュニケーションの心理学?嘘と説得、コミュニケーショントレーニング

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はじめての人狼

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