◆いよいよ決め打ちの日
「吊り余裕が全員視点ゼロ」この日はいわゆる決め打ちの日、よほどラッキーではない場合には人間陣営を処刑しては負けが確定することになる。
◆バランス吊りの欠点
バランス吊りというのは「人間陣営がひとりも間違えられない」状況を進んで作りにいくという側面がある。
具体的には、前の記事での進行の例で、3日目に黒出され村人Dを処刑、次の日に黒を出した占い師Aを処刑、とすると翌日は5人、致死投票数は3票で人外が2人という状況なので、1票でも村人が村人に入れてしまうと村人の処刑が確定=村人陣営の負けが確定する。
投票数という村人側に与えられたアドバンテージを極限まで減らすことになるので、それがリスクであることには違いない。
しかし、この進行では多くの情報が残されているはずだ。その情報をもとに人狼を処刑することは十分にできる力は蓄えられている。イメージ図を作ってみた。
投票量というのは日を追うごとにどうしても減るものだ。(人外を早く処刑したり、GJを出すことで右肩下がりの直線を緩やかにすることができる)この進行はそもそも情報量を多く出すことに焦点を置いていると言え、その総合力を右肩上がりに上げていくことができるイメージだ。この情報量とは言わずもがなこの作戦では予言潜伏からのCOによって得られる結果について指している。(ゆえに3日目の情報の増加量は高くなっている)この内容は霊媒結果だったり、議論内容だったりと作戦によって様々だろう。
◆自由投票というシステムの穴と最終日の扱い
立候補制で投票を任意の順番で行う、というのはゲームのシステムとしては不十分な点がある。基本的に、投票は後の方で行うことによって、他社の様子を見ながら投票先を変えられる、という点で両陣営どちらでもメリットがあることに異論を唱える人はあまりいないだろう。
先に投票したことで得られるものは何かというと、それによって村陣営として見られる可能性がある、程度のことであり、特に最終日で絶対に間違えられない状況でのリスクの大きさと比べるとはるかにメリットの方が小さい。
何が言いたいかというと、先に立候補することにうまみがないため、ゲームが先に進まなくなる恐れがあるのだ。それでもゲームが成り立つのはなぜか、というとほとんどメンバーのサービス精神に依存しているようなものなのだ。断固として投票は最後にする、というのはゲームに勝ちに行くという姿勢から見ると何も間違いではない。
保身のために言っておくと別に文句をつけたいわけではなく、もともとは舞台映えを考慮するために分かりやすさみたいなのを重視した結果であり、このシステムの採用自体は当然と言えば当然だと思う。
◆最終日での投票の決め方
さて、5日目に見事決め打ちに成功した場合に限り、3人で最終日を迎えることができることになる。
この時点で確定人狼が判明していない前提で話を進めるが、多くの場合、ひとりは信じられる人を作ることができると思う。誰々が真だったということは、それを強く信じていたこの人は…という具合に。その人に、最終投票を任せれば3人の場合はその人から見て2択にすることができる。その最終票の人が人狼だったら、もうお手上げというか、どうせ2票も集められないだろうなのでこの最終投票者の決め方は間違っていないと思う。
◆殴り合いこそドラマチック
実は僕がバランス吊りが好きな理由として、3人の最終日を迎えるより前に決着がつきにくいという点がある。上記のような最終日の殴り合いは今までの議論の集大成とも言っていい、ダンガンロンパで言うところのクライマックス推理のようなものだ!真相にたどり着くために、互いの持つコトダマを思う存分にぶつけ合いたい。
以上