ボードゲーム将軍のお座敷遊戯ブログ

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バランス吊りで来たる決戦に備えよ

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◆村人の持つアドバンテージとは?

人狼ゲームは2つ以上の陣営に分かれて戦うが、村人陣営が人狼陣営よりも有利な点は何か。

それは人数。人狼と比べてアドバンテージは実はこれだけだと僕は考える。

人狼は誰が仲間かを知っている。それは村人が辿り着きたい結論をすでに持っているということであり、このアドバンテージはとても大きく、人数が少なくても人狼が戦えるのはこれに起因するところが大きい。情報量が村人とは断然違うのだ。

占い師や霊能者が知ることのできる情報は、全て既に人狼が知っている答えなのでこれは村人の優位性として捉えるのは不適切である。狩人の存在も、そもそも村人は夜の襲撃ができないので同じ理屈として考えていいと思う。

では人数が多いことがもたらすメリットは何かというと

- 吊り余裕の確保
- 投票数の確保

この2点。吊り余裕があることはその数だけ人狼を処刑するチャンスが多いということなのでメリットであることは言うまでもないが、投票数についてはあればあるだけプラス要素とは言えないので注意が必用だ。

その理由は

- 人外濃度が薄いとそれだけ人狼を処刑できる可能性も低くなる
- 無効票はシステム的には全くの無意味

前者については単に投票対象が多すぎると人狼を処刑できる可能性は低いというだけであって、要は人数が多いことにより得られる投票数はメリットとしてブレーキがかかるということを言いたいだけ。

大事なのは後者の方。「全くの無意味」と言ったことに対し「投票先から得られる情報がうんぬん」と言いたくなるかもしれないが、これは人狼側もいくらでもコントロールできることなので、これも村にとってのアドバンテージとは言いにくい。
(この投票数についての話は、自由投票ルールや指定役ポジションの話と絡めて別の記事で詳しく書こうと思う。要は合わせないと負けるリスクが高くなりますよ、という話)

能書きをたれた挙句に結局何が言いたいかというと、吊り余裕は大事に扱うべきであるが、一方それは消費する前提であると考えても間違いではない、ということ。それを前提に作られたゲームバランスである、と言ってもいいだろう。

よって、ある程度村人が死ぬことはしゃーないと割り切る、という視点も持つのは悪いことではない、という話。

それを踏まえて、今日はバランス吊りについて。

 

◆バランス吊りはただの安全策か?

「誰が全然人狼か分からない…自信ない…自分のせいで負けたら嫌だからとりあえず保留するために確実に明日を迎えられるような人を処刑しよう…」

バランス吊りはこのような消極的で弱気なモチベーションによる選択肢ではない

全ての可能性を追い、できる限りの情報を集めた上で、万全を期して戦う村人のための立派な戦略だ。そしてそれは、全ての村人が備えているべき姿勢だと思う。

そもそもバランス吊りというのは心理的に抵抗があり、勇気が伴うものだ。前のブログで例に挙げた進行で、黒出し先を吊った後に占い師を吊るというのは、ほぼ味方を殺していることも確定となるからだ。ちなみにまったく同じことが霊ロラにも言える。信用のあるなしによらず投票することにいつも僕は心を痛めているのだ。本当だ。

それでもやるのは、次で紹介する情報の追加という明らかなメリットを取ることができるからだ。人狼を早く処刑するという方のメリットを取るために、間違えると負けるという高いリスクに目をそらしてはいけないのだ。

 

◆バランス吊りは情報を補充するため

僕がバランス吊りすることを前提に議論を進めるべき、という根拠は以下のとてもシンプルなメリットを得られることが大きい。

人狼がどこを噛んだか、の情報が落ちる

② 議論時間の補充

①についてはこのテーマでひとつ記事ができるくらい語ることが多いので、詳細はそこで、とさせていただくが、一言で言うと「噛まれたこの人は昨日○○と言っていた。ということは人狼にとって…」という推理が展開できる可能性があるということ。

②議論時間は有限である。基本的には多い方が村にとっては有利であると言っていい。(これだけでもまた記事のネタになりそう)単純にプラスされるものをやすやすと見逃すことは賢いとは言えない。

 

決め打ちを焦るということは、皆が等しく得られるこれらのメリットを無視することを意味し、RPGで新しい村にたどり着いてもNPCに全て話しかけずに先のイベントに進む、かのようなある種のもったいなさを僕は感じてしまうのだ。ここは性格が出るところかもしれないが、取り逃したアイテムがあればボスの攻略がもっと楽にできたのに、ということはできる限り避けたいと思う。

 

 ◆とは言え、場合による

バランス吊りでの進行を議論のベースとすることをひとつ前の記事から主張したが、別に常にこれをやれと言っている訳ではないということは一応、念のため、断っておく。4日目の例で言うとよほどAを信じる理由があるのであれば、対抗のBを吊ることも選択肢としてもちろんアリだ。本当にAが真だった場合、次の日に全人外がA視点でかなり露呈することになるので、そのリターンは大きい。しかし、それが明日が来ないというリスクをかいくぐる程の価値があるものかを説明し、村をその方向へ説得するのはそう信じるあなたの役目である。

 

◆いよいよ決戦の時

さて、4日目のバランス吊りによって、必ず明日はやってくることは約束されている。だが、同時に全員視点吊り余裕がゼロ、つまり間違えることができないという極限な状況でもある。いよいよここが勝負どころ。次の記事では、決め打つべき日である5日目について語っていく。

 

以上